平城京を中心に律令国家体制の整備と仏教文化が栄えた時代を奈良時代という。710年の平城京遷都から784年長岡京遷都前まで。
政治と律令体制
大宝律令(701)・養老律令(757編纂, 施行は後)が国家の根本法。中央は二官八省制、地方は国・郡・里(のち郷)。戸籍・計帳に基づき班田収授法で口分田を貸与し、租庸調や兵役・雑徭を賦課しました。
藤原氏は南家など四家へ分かれつつ政界で台頭。橘・長屋王らとの政争を経て、藤原仲麻呂の政策、鑑真渡来など制度と仏教の受容が進行。
平城遷都後も災異・権力闘争で都が短期的に遷る(恭仁京・難波京)例があり、中央権力の不安定さを示しました。
仏教と国家
聖武天皇は国家安泰を仏教に求め、国分寺・国分尼寺建立と盧舎那仏(東大寺大仏)造立を推進。これにより銅・木材・課役の負担が増大し農民に重圧。
僧の政治介入が問題視され、のちに仏教勢力抑制と王権権威再編の課題を残しました。
外交と周辺
遣唐使は引き続き唐から律令・文物・仏典・最新技術(造船・医薬・天文暦)を受容。阿倍仲麻呂は唐で高位に就き、交流の深さを象徴。
渤海からの使節来訪もあり、日本海ルートの交易・情報交流が活発化。
新羅とは緊張と交易を併存。
経済と社会
班田収授は人口増加や口分田不足、墾田開発の進行で運用困難化。743年墾田永年私財法で新規開墾地の私有を認め、貴族・寺社の大きな土地集積(荘園成立の萌芽)が生まれました。
租庸調の調布・絹や庸の負担、雑徭が重く、逃亡・浮浪が増え戸籍精度が低下。これが後の制度再編へつながります。
文化
天平文化は唐風・インド・西域的要素を取り入れた国際色。正倉院宝物はシルクロード交易の広がりを物証。
漢詩文(懐風藻)とともに、和語表現では万葉集が成立し幅広い身分の歌を収録。
人々の生活
地方農民は租(稲)・庸(労役または布)・調(特産物)に加え雑徭・軍役で疲弊。災害・疫病(天然痘流行)で人口減少も発生。
墾田拡大に動員される一方、逃亡化で労働力確保が課題となり、後の制度緩和や荘園進展の土壌となりました。