仏教受容と中央集権化の基礎作りが進んだ時代を飛鳥時代という。6世紀末ごろから7世紀後半(大化改新~律令制成立過程)へ連なる。

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政治と権力

飛鳥時代の政治は、豪族の力が強い中で、徐々に天皇中心の中央集権体制が整えられていきました。蘇我氏が大王《おおきみ》を擁して主導権を握る一方で、聖徳太子(厩戸王)が推古天皇を補佐し、冠位十二階十七条憲法を制定しました。これにより、氏族的な序列よりも能力を重視する方向性が示されました。

645年の乙巳の変では、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を掲げて豪族支配から天皇中心の公地公民制を目指しました。この改革は、後の律令国家の基盤となりました。

外交

飛鳥時代の外交は、朝鮮半島や中国との関係が重要でした。仏教は百済から伝えられ、寺院の造営を通じて信仰が広がりました。また、遣隋使(小野妹子ら)を派遣して隋の制度や文化を学び、国際的な地位を示そうとしました。

663年の白村江の戦いでは、唐と新羅の連合軍に敗北し、以後は防衛を強化する政策が進められました。

仏教と文化

飛鳥時代は仏教文化が本格的に受容された時代です。法隆寺四天王寺などの寺院が建てられ、仏像や瓦などの技術が導入されました。仏教は、政治的にも天皇の権威を高める役割を果たしました。

人々の生活

地方の豪族や農民は、引き続き農業を中心とした生活を送りましたが、仏教や新しい技術の影響を受け、生活の質が徐々に変化していきました。

まとめ

飛鳥時代は、仏教の受容とともに、中央集権化が進んだ時代でした。この時代の改革や文化は、後の奈良時代の律令国家や天平文化へとつながっていきます。 一般農民は従来の農耕とともに鉄製農具の普及で生産性が向上。班田実施を見越した戸籍・計帳作成の予備的施策で人口掌握が進み、租税体系導入の基盤となりました。